なかよし荘がスタートした理由
2007年に介護経営雑誌◇◇シニア・コミュニティ◇◇に紹介されました。 なかよし荘が何故スタートしたのかが分かりやすく紹介されています。 掲載されたルポを紹介します。 2007年当時のルポですので定員など現在と違う部分もあります。
地元ことば 栃木県の日光東照宮に向かう電車で終点の一つ手前の駅で下車する。 そこから車でさらに15分。畑の向こうに「なかよし荘」が見えてきた。 周囲を畑に囲まれ、どこかぽつんと立っているふうでもある。 だが、建物全体はごく普通の民家である。少し趣きがちがうのは、 大きな窓が多用されているので、いかにも見通しがいいことだろうか。 ガラスに大きな文字で「なかよし荘」と書かれている。 文字越しに中をのぞいて見ることにする。広いデイルームにはぐるりと楕円を描くようにソファーが配置されている。一方の楕円の端にはソファーがなく、壁いっぱいに手作りの風景画が見える。どうやら貼り絵のようだ。色鮮やかで季節感たっぷりである。 デイルームを囲むように台所と、トイレやお風呂がある。手作りの風景画が貼られた壁の向こう側にはさらに和室が2部屋ある。ソファーに座っている利用者の数は17人。 朝のお茶を楽しんでいる最中だ。早速お邪魔した。 デイルームの中は実に明るい。ガラス越しに日差しがたくさん入るからだけではない 利用者の表情が輝いている。そのわけは、あちこちでおしゃべりの花が咲いているからである。多少のかみ合わない話でも、地元ことばのよしみであろうか、すぐに笑いに転じる。 利用者は圧倒的に女性が多く、この日の男性利用者は二人だけだ。 ともすれば孤立しがちな男性利用者に、男性職員が湯飲みを渡しながら話のきっかけをさぐるように言った。 「熱燗はこんなもんだべ」笑いながらうなづく利用者。 職員が男性利用者の前に座ると、利用者がゆっくり話し始めた 気がつけば、職員の数も多い(調理担当者と矢野さんを含めると10人)のであるが、目立ちすぎないのだ。立ったまま話しかけたり、ワサワサと忙しげな職員がいないのである。利用者と利用者の間、ホカホカのじゅうたんに正座して目線を合わせながらコミュニケーションをとっている。地元ことばでのやり取りがいかにも温かい。 どうしても「泊まり」をやりたかった 「なかよし荘」は現在、通所デイ(介護保険)とお泊り(自主事業)のサービスを提供している宅老所だ なかよし荘の開設者は矢野元子さん。矢野さんに開設のいきさつを聞いた。 矢野さんはなかよし荘の50mほど先にある一軒の家を示して次のように説明した 「あそこはもともと自宅だったたのですが、使わなくなったので1998年に宅老所を始めました。栃木県には宅老所が多く、すばらしい先輩達がいます。その方々連絡会で一緒に学ぶ機会があり、どうしても宅老所を作りたいと思ったんです。当時の日光市(現在は合併してさらに大きくなっている)にはデイサービスがなかったので、県の補助を得て始めることができました。その後社会福祉協議会と協働して運営することになったのですが、宅老所ケアを貫けなくなってしまいました。それならばと、新たになかよし荘を建てて利用者が必要とするサービスを提供しようと決めたんです」 資本金を借りての再スタートである。もとの宅老所も社会福祉協議会によって運営されている。なかよし荘を建てた土地をはじめ、その一角の土地はすべて矢野家のものであるから、つまり同じ敷地内に50mだけ離れて2軒の宅老所と矢野家の母屋があることになる。 「前の宅老所で実現できなかったことは何ですか?」 「泊まりです。時間内だけのデイサービスだけでは、家族を支えきれません。しかし、どんなに要望があっても社協とは泊まりの合意が得られませんでした。一言で言えばお役所的だったということだったのでしょうね。」 人情家の矢野さんは、利用者や家族が途方にくれる姿をみていられなかった。 夕方の送迎では家人不在でカギのかかっている家の前に認知症の利用者は置いてはこれず、緊急時に「泊めてください」と懇願する家族をそのまま帰すなどつらすぎたのだった。見るに見かねて母屋に泊めたこともあったという。 矢野さんの気持ちの中で、せっかく宅老所を開設したのに必要としている人に必要なサービスが届かないのは意味がないという思いが膨らんでいく。 だが、社協との話し合いは平行線をたどるばかりである。2003年、ついにもとの自宅である宅老所から飛び出し、なかよし荘を建てたというわけである。 若い頃は養護教諭として勤務していた経験を持つ矢野さんが、福祉に関心を持ったのは、特別養護老人ホームにボランティアでおむつたたみに行った時だ。そこで見た入居者は、車いすに縛り付けられていて自由に身動きさえできない。 「同じ人間なのにどうしてこんなふうにされなければならないのだろう」 とショックを受けた。 「何とかできないだろうか」 と考え、農協でヘルパーの講習を受けることに決めた。 ヘルパーの資格を得た後に使わなくなった自宅で宅老所を始めるのだ。 なかよし荘のデイの定員は開設当初は10人であった。ところが次第に利用者が増え、まもなく定員15人となり、現在は20人であるから、矢野さんの人情ケアが受け入れられていることが分かる。 宅老所ケア もぞもぞする利用者に 「トイレ?」 とたずねる職員。 「うん、べんじょ」 といかにも飾らない利用者の返事である。トイレへの移動は利用者を支えるように、両脇と後ろに全部で3人の職員が介助する。この利用者は、ソファーに座っている姿やおしゃべりしている様子だけを見れば、歩行困難な状態を想像もできない。普通の元気なお年寄りに見えるのだ。 一方お風呂場では、カーテンの向こうから職員と利用者の 「風呂に入ろうよ」 「どうしようかな」 というのんびりとした会話が聞こえる。通常、風呂場は脱衣コーナーがあってそこで着脱をするのであるが、ここではちょっとした空間の他にさらに脱衣室が2つ並んでいる。この脱衣室は狭いながらも、手すりや作り付けの小ベンチが設けられており、利用者が座ったりしながら自分のペースで着脱ができるようになっている。カーテンも引くことができる。つまり脱衣コーナーでは裸のまま他の利用者と鉢合わせすることもないのである。デイ利用者ということを考慮した、羞恥心への配慮がうれしい。 昼食時には利用者と職員が一緒に食卓を囲む。 圧巻は、午後の自由タイムである。 歌を唄うグループ 塗り絵をするグループ お米の粒をそろえる手仕事グループ などさまざま。みんな昼寝をする間も惜しむように自分の好きなことに夢中だ。 その傍らには必ずといって言っていいほど職員の見守る姿がある。利用者がにぎやかで、座っている様子だけ見れば普通に見えるのは、職員のこうした出過ぎずやり過ぎないケアがあるからだろう。 「ここに来ると元気になっちゃう」という利用者。 自宅のお茶の間と同じように過ごせる上に、仲間もいる。 おしゃべり、食欲、またおしゃべりだ。 そしていざとなったらお泊りもできる。 安心感がお年寄りの笑顔をいっそう輝かせている。 人情宅老所の本領発揮だ。